Webショートストーリー「寛大な征服と服従」
■中編
ごうごうと吹きすさぶ風の音が不安を駆り立てる。
激しく強い風を受け、ばりばりと音を鳴らす窓を、
今すぐに塞ぎすべてを遮断してしまいたい。
……嵐の夜はいつも、いつも昔から……
なんとも恐ろしいものだった…………。
私はベッドの上で恐怖により縮こまっていた体を起こすと、
深夜の暗がりのなか、数度まばたきを繰り返した。
どくんどくんと心臓が嫌な音を立てている。
どうして嵐の夜は、こんなにも怖く恐ろしく……、
心許ないのだろう…………。
めのう
「…………」
私は枕を胸に抱き締めると、
ベッドの上からそっと足をおろした。
ひんやりとした床に、ひたと足の裏が張りつき、
それから逃れるように履き物に足を通す。
昔からそうしていたように私は……、
なにかに追われるように、そしてなにかから隠れるように、
静かに部屋を抜け出した。
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ギイ、と少し軋んだ音が立つものだから、
いつも私は、その音が少しでも響かぬよう細心の注意をはらい、
慎重に慎重に輝夜の部屋の扉を開いた。
輝夜
「……ん……」
暗闇のなかで寝返りを打つ輝夜の姿が、
ぼんやりとだが確認できる。
私はやっと体が滑り込めるほどの隙間を作った扉の間を、
するりとすり抜け、しずしずと彼女のベッドに歩み寄った。
そのまま、彼女の体温で温められた心地よいベッドのなかへ
もぐり込んでしまう。
めのう
「……はぁ……」
輝夜
「ん……め、のう……?」
ベッドのなかで、輝夜の腕が私に伸びてくる。
その細い腕は、柔らかな指先は、
私の形を確認するかのように頬を滑り首筋をくすぐった。
めのう
「……輝夜……くすぐったい……」
言えば、するりと腕は私の体に絡みつく。
ぐっと近づいた距離で、
輝夜の熱い吐息が私の頬を湿らせた。
輝夜
「どうしたの、めのう……。
また今夜も部屋に忍び込むなんて、悪い子……」
めのう
「だって、嵐が……」
輝夜
「あら、まだ嵐が怖いの?
一体いつになれば克服できるのかしら」
輝夜の意地悪な物言いに頬を膨らませながら、
彼女の柔らかな体に顔を擦りつける。
めのう
「輝夜がいれば、克服なんてしなくていいもの。
怖い時にはこうして、私を抱き締めてくれるもの」
輝夜
「いつまでも子どもでは駄目よ、めのう」
突き放すようなことを言いながら、
輝夜の腕はしっかりと私を抱き締めてくれている。
輝夜はいつだってそうだ。
いつだって、どんな時だって……、
私のことをこうして受け入れ温めてくれる……。
だから私はいつまでもこれで、いいんだもの。
いつまでも、これで……。
輝夜がいてくれる限りこれで……いいんだもの……。
めのう
「……嵐の日には、この浮島全体が揺れているような気がする。
怖い……怖いの……。
この島が壊れてしまいそうで、怖くなるの……」
輝夜
「めのう、大丈夫よ。この島は壊れたりなどしない。
ここに女王が君臨している限り、ずっと」
めのう
「けれどっ、お母さまは……っ、お母さまは……」
言いかけ、言いよどむ。
母の死期はもう近いではないかと……、
そんなことは口にしてはならないような気がした。
女王である母の死期が近くなり案じているのは、
きっと輝夜とて同じこと。
母の寵愛を一身に受ける輝夜なのだから、
私よりもその不安や悲しみが大きくともおかしくはない。
私は輝夜の服をきつく握り締め、
様々なことを封じるように改めてその胸に顔を埋めた。
輝夜
「大丈夫よ、めのう……」
輝夜が私の背を優しく撫でてくれる。
輝夜
「お母さまがいらっしゃるんだもの。大丈夫……」
ぐっと唇を噛み締める。
では母がいなくなればどうなるの……?
もし今夜、母が亡くなってしまったならどうなるの……?
暗澹たる気持ちを胸にしまい込むように、
やはり私は唇を噛み締める。
輝夜
「なにをそんなに怖がることがあるの……?」
輝夜の胸から静かなささやき声が響き、
押しつけた私の頬を震わせた。
怖がることならたくさんあるわ。
嵐の夜はなにもかもが壊されそうで恐ろしいし、
ひとりきりで眠っていればどんな夜であろうと、
時折妙に不安に駆られる。
輝夜がこうして私を抱き締めてくれなくなる日のことを考えれば
もう、胸が絞られるように苦しいし、
輝夜を失う日のことを考えると息もできなくなる。
お母さまが亡くなり世代交代の時のことを考えれば私は……、
私は……絶望に打ちのめされ、錯乱してしまいそうになる。
めのう
「……あなたと、いつまでもこうしていたい……」
輝夜
「こうしていられなくなる日のことを、怖がっているの?」
先ほどよりも少しだけ、
優しさと柔らかさと、そして……、
悲しみを含んだ輝夜の声が空気を震わせた。
彼女の声はいつだって凜と響き堂々と強いのに、
私とふたりきりで過ごす時には
時折こうして切なく丸みを帯びた。
めのう
「だってもうすぐ、あなたと殺し合わねばならない……。
お母さまが……お母さまが、お亡くなりになったら……」
弱気な言葉を小さな声で並べていると、
輝夜はまるでこれがなんでもないことのように、
くすくすと声を立てて笑い始めた。
輝夜
「ふふっ、ねえ、めのう。
あなたって本当に、昔からちっとも変わらないわ。
私とあなたの宿命を知った時にも、
あなたは私と争いたくないと泣きじゃくったのだもの」
めのう
「っ……でも、今は泣いてなど……」
輝夜
「その時の言葉を忘れてしまったの?
私はあなたを決して殺さないと誓ったのよ。
あなたが私を殺す時が来ても、私はあなたを殺さない……」
めのう
「……私も……あなたを殺したりなどしない。
殺せるはずがないわ……」
ゆっくりと情けない顔を上げると、
普段通りの輝夜の艶やかな笑みがあった。
輝夜の前だとどうしてこんなにも……、
ここまで……情けない存在になってしまうのだろう……。
もっと気丈に振る舞いたいと思うのに、
輝夜という存在を前にすれば、
私の心はどこまでも脆い塊になってしまう。
私は私のままでいいのだよ、
と輝夜が言っているようで……どこまでも弱くなっていく。
ただそれは、とても心地がいい。
弱き雌蜂に成り下がり、この柔らかな胸に埋もれていれば
いいだなんて……とても心地がいい。
輝夜のそばにいれば私は駄目になってしまう。
力などまるで入らない。
けれども……甘い甘い蜜で私を絡め取る輝夜のことを、
私はこうして……求めてやまないのだ。
これが蜂族の生き様に反することなのだとしても
王女として間違った生き様なのだとしても私は、
居心地のいいこの場所から、離れることができないのだ。
輝夜
「私たちは殺し合ったりなどしない。
ならばなんの問題もないわ」
めのう
「争わず、あなたが女王となってくれる?」
輝夜
「女王はあなたよ、めのう」
めのう
「嫌。本当にふさわしいのは輝夜だもの。
私はなにもできないから……
だから私は、輝夜の手伝いができればそれでいいの」
輝夜
「なにを言っているの。
女王となれなかった王女がその後も城に残るだなんて、
そんなことが認められるはずもないわ」
めのう
「でもっ、どちらかが女王になるのだったら、
私たちの未来を決めるのは女王となった私たちのどちらかだわ。
誰の許可もいらない」
輝夜
「めのう。頭はひとつでなければ、国がぶれる。
ふたりの女王など成り立つはずもない」
めのう
「だから私は、輝夜の陰の存在でいいのっ!」
輝夜
「めのう」
たしなめるように、輝夜が人差し指を立て私の唇を封じる。
少しだけひんやりとした輝夜の細い指先が
私の唇を押さえつける感触にぴくりと唇は震えた。
輝夜
「大丈夫よ、めのう。安心なさい。
私はいついかなる時も、あなたの味方だわ」
……それは、答えになどなっていない……。
そう思うのに、押し当てられた指が私の言葉を封じたままだ。
輝夜
「ねえ、めのう。
私のあげた髪飾りは、まだ宝石箱のなかに仕舞い込んだままなの?
せっかく贈ったのに、ちっともつけてくれなくて残念だわ」
めのう
「え……? それ、は……」
ゆっくりとほどけていく唇の封印。
それを名残惜しくも感じながら、私は小さく口を開いた。
めのう
「とても可愛いし、
あなたがくれたものだからもったいなくて……」
輝夜
「そう……」
輝夜の腕が再度、私の体に絡みつく。
そうしながら彼女は、ゆっくりとまぶたを閉じた。
輝夜
「もう眠りましょう。
心配事ばかりを並べていても仕方がないわ」
めのう
「……輝夜……」
輝夜
「私は、いつでも、どこからでも……、
あなたのことを見守っていてあげるから……」
めのう
「輝夜……?」
輝夜
「ふふ……っ、
あなたはこの先の未来を案じる必要など、少しもないのよ……」
輝夜の物言いに、どうしてだか不安をかき立てられ、
私は、輝夜がどこへも行かないよう、
きつくきつく彼女の体を抱き締めた。
お母さまの死期が近い……。
この不安はそれだけが原因ではないような気がし、
彼女にすがらずには、いられないのだった。
**************
めのう
「ん……んん…………」
するすると滑りのよいベッドの上に手を這わせながら、
眠りにつくまではあったはずの温もりを捜す。
けれどもたどり着けない。
求める温もりが……どこまで行けども……ない。
めのう
「輝夜……?」
嫌な予感に眉根を寄せながら、
朝日の差し込み始めた部屋のなか、おずおずと体を起こす。
めのう
「輝夜……っ!」
見当たらぬ捜し人を求め、
思わずはしたなく声を上げてしまった矢先。
輝夜
「どうしたの、めのう」
部屋の扉を開け戻ってくる輝夜の姿が目に入った。
過剰なほどに喜びが湧き上がり、
まるでもう会えぬと思った捜し人に会えたような心地がし、
ベッドから飛び降り輝夜に駆け寄る。
輝夜
「怖い夢でも見たのかしら?」
めのう
「いいえ! だってあなたが、黙っていなくなるからっ」
すがりつくように訴えかけると、
輝夜はとても優しく微笑みながら
私の前に両手のひらを広げて見せた。
輝夜
「あなたのために、新しい髪飾りをこしらえていたの。
昔のものは使ってもらえなかったけれど……、
今度はきちんと使ってちょうだいね?」
めのう
「……輝夜……」
やや面食らう私を前に、
ひたすら優しい笑みを輝夜は浮かべながら
私の髪に髪飾りをあてがった。
輝夜
「やはり、とてもよく似合うわ……」
その時のうれしげな笑みの深部に、
悲しみが刻み込まれているような気がしてならなかったのは、
私の気のせいではなかったに違いない――。
[後編(03/14公開予定)へ続く…]
※エピローグは輝夜編予約キャンペーンドラマCD「めのうの手紙」となります。