女王蜂の王房

Webショートストーリー「寛大な征服と服従」

■後編

柔らかでふんわりと軽やかなめのうの髪に櫛を通し、
丁寧に梳かしていく。

部屋の空気と、彼女自身の甘い香りを孕んだ髪の合間を、
ほそい櫛が通り抜けていくさまは美しかった。

それを眺めつつ呟くように口を開く。

輝夜
「それにしても、めのうは心配性だわ」

努めて優しく話しかけると、
拗ねたように唇を尖らせたのがちらりと見えた。

めのう
「だって……」

いいわけをしかけるものの、彼女はそのまま口を噤んでしまい、
うなだれるように俯いてしまった。

はらはらと彼女の顔を隠していく髪を、
櫛と指先で梳き上げ、憂いを帯びた横顔を盗み見る。

輝夜
「お母さまは、あなたを次期女王に、とおっしゃっているわ」

めのう
「っ……! お母さまが……?」

言えば弾かれるように顔を上げ私を振り返る。

またしてもはらはらと柔らかな髪は流れ、
彼女の頬に降り注いだ。

輝夜
「ほら、じっとしていないと
綺麗に結ってあげることができないわ」

めのう
「……ごめんなさい。
けれど、信じられなくて……」

輝夜
「どうして?」

めのう
「だってお母さまは、
輝夜のことをとても可愛がってらっしゃるもの。
輝夜を世継ぎに……と思われているって、ずっと……」

やはり顔を俯かせてしまうめのうの、
髪を結い上げるようにすると、
あらわになったうなじの白さにどきりとした。

匂い立つ甘い香りはきっと……、
発情期の近くなった女王蜂の香り…………。

そのうなじにしっとりと指先のはらを這わせ、
うなじの髪をすくい上げる。

輝夜
「真っ白い、首筋……」

めのう
「…………?」

ひとつまばたきをし、
それから見られてもいないのに微笑みを作る。

輝夜
「お母さまの選択はきっと正しいわ。
だってあなたは、この城の皆から愛されているもの」

めのう
「輝夜のように王女らしくないから、
皆、話しやすいだけだわ」

輝夜
「そんなふうに自分を卑下しては駄目。
もっと強く、気高くいなさい」

めのう
「輝夜やお母さまのようには、私はなれないの」

輝夜
「同じようになる必要などない。
あなたはあなたの道を進めばいいだけ」

めのうがゆっくりと私を振り返る。

せっかく結い上げた髪が、
またしてもはらはらと崩れ落ちてしまう。

甘えるようなすがるようなまなざしに私は、
心が苦しくなっていくのを感じた。

めのう
「私の進みたい道ならきちんとこの胸にある。
思い描く理想の国も、この胸にある」

めのう
「けれど私……あなたがいなければ前に進めないの。
あなたがいてくれなければ……、
例え女王になったとしてもきっと無理だわ」

輝夜
「……貴峰丸も、白鴎もついているわ。
あなたの周りには優秀な雄がたくさんいる」

めのう
「私のことを理解し甘やかしてくれるのは、
あなただけなのに」

輝夜
「甘えていては駄目よ」

めのう
「甘える存在がなければ、心が壊れてしまいそう……」

ああ……。

今すぐにきつく抱き締め、
これからもずっと、ずっとずっとずっとずっと、
あなたのそばにいてあげるわと叫びたい。

なにも心配することはないのだと、
弱虫のめのうを安心させてやりたい。

しかし……。

輝夜
「ほらめのう。
何度言えば分かるの、髪が結えないわ。
せっかくの髪飾りなのに」

冷たく言い捨てると、
めのうは悲しげに目を伏せまた正面を向いた。

ちくりと胸が痛む。

本当は好きなだけ甘えさせてやりたいのに……。

今度こそと、するする髪を結い上げていく。

普段は隠されているうなじや首筋があわらになっていくとともに、
彼女の香りも強くなっていく。

……めまいがしそう……。

彼女の白い首筋やうなじ、
そして香りから逃れるように視線を逸らすと、
作ったばかりの髪飾りが視界に入り苦笑する。

昔の私は……、
呪いをかけようなどと、よく考えたものだ。

そんなものをかける必要などなかった。

めのうは呪いなどなくとも、
どこまでもどこまでも私に依存している。

呪いで望まなくとも、
私が求めればその身も心もすべて私に差し出すことだろう。

そして私がいくらもがき、あがいたところで、
巣はきっと……次期女王としてめのうを選ぶに違いないのだ。

昔の私の思いや考えになど、なんの意味もない。
無意味なことばかりを考えてきた……。

こんなにも心の醜い私が女王になれるはずもなく、
正しき真の王者はめのうに違いないのだから…………。

輝夜
「できたわよ、めのう。
こっちを向いてよく見せて」

ふんわりと髪を結い上げためのうが、
悲しげな顔をしたまま時間をかけこちらを振り返る。

あらわになった顔の輪郭や首筋が、
まだ幼くも見える彼女の芳しさを引き出していた。

輝夜
「……よく似合うわ。
今度こそ、大切に使ってくれるわよね?」

めのう
「……ええ……」

輝夜
「そんなに悲しそうな顔をしないで」

めのう
「とても、胸騒ぎがするの。
悲しいことが起こりそうな、そんな予感があるの」

輝夜
「胸騒ぎでいちいち心配していたのでは、
この先きっと身が持たないわよ。
もっとあなたは、強くならなければ」

めのう
「輝夜がいるのだから、強くなどならなくていいの」

輝夜
「私を頼っていては駄目」

めのう
「嫌……」

輝夜
「なにが嫌なの」

ふるふるとかぶりを振るめのうの頬を、
そっと両手で包み込み、澄んだ瞳をじっと見つめる。

吸い込まれてしまいそうな瞳。

私とて、こんな美しい瞳を持ちたかったと……、
いつも焦がれ続けた無垢な瞳……。

めのう
「だって輝夜は、ずっと私のそばにいてくれるでしょう?」

輝夜
「めのう、大好きよ。
いつでも私は、あなたの味方だわ」

めのう
「輝夜」

するりと指先で柔らかな頬を撫で、それから……。

そっと優しくふんわりと、
温かく柔らかな薔薇色の頬へ唇を寄せた。

軽く吸いつかせるように頬へ押し当て、
それからたっぷりと時間をかけ離れていく。

近づけば近づくほど、香りがきつい。

なにもかもを惑わしてしまいそうな芳醇な香りが、
私の脳をも狂わせてしまいそうになる。

めのう
「……輝、夜…………?」

不思議そうに目を見開くめのうの様子を見ながら、
くすりとひとつ笑いをこぼす。

輝夜
「あなたはきっと、立派な女王になるわ。
民のことを一番に考えることのできる、
皆から愛される女王となれるわ」

やはりめのうは、嫌々とかぶりを振る。

その瞳からぽろりと涙の粒が転がり落ちた。

透明な涙の粒はころころと頬を転がり、
先ほど私が口づけた箇所の上を転がり落ち、
涙の筋を残していった。

もうその涙を拭ってやることはしないままに、
彼女に背を向ける。

するとぐいと腕を引かれ、振り返れば、
まるで捨てられた子犬ような顔をしためのうがいた。

めのう
「どこへ行くの、輝夜」

輝夜
「どこでもないわ」

めのう
「嘘。なんだか様子がおかしいもの」

輝夜
「手を、離しなさい」

めのう
「嫌……」

めのうには、一度決めれば譲らない強さがあった。

なにもこんなところで、
それを発揮しなくともいいのにと考えると、
思わず頬が緩んでしまう。

輝夜
「おいで、めのう。
部屋まで送ってあげるわ。
もうじき、貴峰丸との勉強の時間でしょう?」

私の言葉を受け、
私を掴むめのうの手の力が弱くなる。

それを逆に私はしっかりと両手の力で包み込み、
それからふんわりと片手を握り締めた。

めのうの手を引き、部屋を出る。

めのう
「まだ……っ、まだ一緒にいたいのにっ」

輝夜
「駄目よ、そんなことでは。
めのうは昔から、私の前ではわがままなんだから」

めのうの手のひらは、温かくしっとりとしている。

その手の感触が好きだ。

誰よりも特別に心地よく感じられる、
その手の感触が好きだ。

日の光が城の廊下にさんさんと降り注いでいる。

日々は繰り返される。

日は昇り明るい道しるべを作り出し、
やがて橙色へと移ろいゆき、
夜のとばりへ、終焉へと厳かに向かう。

日々は繰り返される。

悲しみの日も喜びの日も苦しみの日も幸せの日も、
いついつもいつまでも、繰り返し続ける。

ふと立ち止まり、握り締めていためのうの手を、
丁寧に丁寧にほどいていった。

めのうが私の手を引き留めようとする。

けれども私はそれをすり抜け、
ちらりとめのうの部屋の方を見やった。

輝夜
「めのう大変。
貴峰丸があなたを捜している声が聞こえるわよ」

めのう
「っ!」

びくんと体を震わせるめのうに、
くすくすと笑いながら、私は一歩後じさる。

輝夜
「さようなら、めのう」

めのう
「輝夜!」

きびすを返し、めのうを振り返ることなく、
ずんずんと来た道を引き返す。

彼女は今度は私を追わなかった。

いつだってそう。
私たちの仲は切り裂かれると決まっている。

めのうの教育係である貴峰丸に、
女王である、我が母に。

私たちは切り裂かれる。

そうして今度こそは……、
自らの手で切り裂いてしまうべきなのであろう。

来たるべき時が来たのであろう。

……彼女が女王となる時の迷いや甘えとならぬよう、
私はここで身を引くべきなのだ。

彼女が私によりこれ以上情けなく弱くならぬよう、
彼女の足を引っ張らぬよう……。

そして、悲しい争いが起こる前に。
殺さねばならぬ、その時が来る前に。

彼女の手を穢す、その前に……!

私は消えなければならない。

そう、だから……心残りなどない。

心残りなどは……。

輝夜
「……っ…………」

つん、と鼻の奥が痛みを訴え、私は必死で歯を食いしばった。

振り返れば未だめのうが私を見ているような気がし、
それが堪らなく苦しく切なく、
私はこれでもかというくらい歯を食いしばった。

これが正しい。

彼女は本当は強く在ることができるのだ。

本当は……、
私などいなくとも十分に強いのだと……
私はきちんと知っているのだ。

知っていて甘やかした。

そうすることで、自身の心を満たしていた。

私の醜く歪んだ、穢れた心を彼女で浄化し続けた。

すべては……自身のために…………。

別れなどは、生まれた時から決まっていた。

この国に王女として生まれ落ちた時から、
私たちの未来には別れしかなかった。

輝夜
「……めのう……っ……ん、うっ……あああっ……」

次第に駆け足となり自室へ駆け込んだ私は、
その場にくずおれるようにし泣き声を上げたのだった――。


※エピローグは輝夜編予約キャンペーンドラマCD「めのうの手紙」となります。